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教育情報新聞-Educational Information Press-

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人間は質問を受けて答えられなかった場合、「わからなかったから答えられなかった」と判断されることが多い。質問に答えられなかった場合、その責任の多くは回答者の能力に帰されてしまう。だが、どの様な状況や目的で発せられた問いなのかによって、見方は大きく変わってくる。試験という状況であれば、解答できない責任は答える者が主に負うことになろう。しかし、学習の場面では、学習者の身の丈を越えた問いを発している可能性もある。学習者にとっての質問は、簡単過ぎても適当ではないし、難し過ぎても適当ではない。中学生に3+5を質問しても、数に対する哲学的解釈を質問しても、学習になるとは言いにくい。学習における教師の質問(発問)能力は、学習の成立を大きく左右すると言えるだろう。▼また、子どもにとっては、質問を受けても「わからないこと」もあれば、質問を受けるまで「わからないこと」もある。子どもの中にある知識や、理解の萌芽は曖昧な輪郭を持って潜んでいることが多い。「なぜ、そう思うのか」「さっき、あなたが言ったことと、今言ったことは似ていないかしら」。そんな発問が、子どもの知の輪郭をはっきりとさせ、思考の前面に押し出されてくる。授業では、よく見かける光景だ。教師にたずねられるまで、わからなかったことが、「問い」というきっかけを掴んで立ち上がってくる。だが、反対に教師も子どもからたずねられるまでわからなかったことが、わかるようになるということもある。▼先日、「研究授業を参観している先生からもアドバイスをもらおう」という授業を拝見した。先生方は子ども達の質問に耳を傾けて、様々なアドバイスをしてゆく。子ども達は、次々と色々な先生に助言を求める。質問の内容は同一だが、それに応える教師のアドバイスは実に様々だ。「子ども達から質問を受けるまで、どんなアドバイスをするかわからなかった。しかし、質問をされて子どもと対話をしているうちに色々な助言ができた」という感想を持った先生が非常に多かった。子どもと教師が課題を中心にして、わかり合うことで、学習が深まったのである。教師の側にも、子どもの側にも「たずねられるまでわからないこと」がある。課題を媒介とした「たずね合い」が、「わかりあい」を生みだしていくのであろう。▼教師も子どもも「たずねられるまでわからないこと」を互いに持っている。共にわかりあう関係が作用するからこそ、学校での学びは深まるのである。「尋」の字は、左右の手でたぐり寄せる動作を繰りかえす象形を意味する。「尋ね合う」、ということは互いに相手の考えや思いを求め合うことであり、学び合いの基盤である。 師弟同行、師弟同学(松陰)は「尋ね合い」を要にしてこそ、学び合いが成り立つことを諭しているのであろう。
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